[エッセイ]  序章 - 虫愛ずる姫君

昔、もし音楽をやっていなかったら、何になりたかったかと問われた時の私の即答は、
「動物園の飼育係!」動物と触れ合うことが大好きという理由から、
子供心に浮かんでいた唯一の可能性だった。不器用だからトリマーは無理。
プラス、才能も覚悟もないので手術なんかとてもとても、
と獣医への希望などは持てるはずもない、
ということは無意識によくわかっていたのだろう。だから単純に「動物園」。
動物愛護という観点のみから思えば、
(特に昔の)動物園は正しい選択肢ではなかったかもしれないけれど、
とにかく羨ましかった。

話はちょっと飛ぶが、留学した西ベルリンで訪れた動物園に、
大きな衝撃を受けた。当時の日本の動物園のイメージとはあまりにも違ったのだ。
何しろ広々として、動物が自由、そして近い。緑がいっぱい、明るい。
野外音楽堂からは生演奏が流れる。そのトランペットの音色は、今でも心によみがえる。
それ以来、ヨーロッパでのコンサートや旅行で訪れた都市では、
必ずと言っていいほど動物園に足を運んだ。
ドイツの動物園は、それぞれに特徴があって結構有名らしい。
共通していたのは、動物園というより、
公園の中に動物が遊んでいる雰囲気だった。中には、
動物園というよりトレッキング道か、と思わせるところもあった。
ハンブルク、ミュンヘン、ニュルンベルク、
シュトゥットガルト、エトセトラ、エトセトラ…。
そして(多分今では日本でもあまり珍しくはない?)
「ペンギンの散歩」を初めて体験したのは、スコットランドはエディンバラの動物園。
当時は世界的にみても、まだあまりポピュラーではなかったのだろう。
観光案内本にわざわざ記されていた「ペンギンの散歩」。
一羽一羽がとにかく可愛くて個性的で好奇心でいっぱい。
まん丸い黒い目で見つめ、
私の靴先をチョンチョンするために列を離れて歩いてきたコもいた。
子供のころ夢中で何回も読んだ、
「ポッパーさんとペンギン」
(私の本の題名は確か「町へ来たペンギン」だった)
を思い出していた。

時はまた戻る。
実家の庭にあった小さなカラタチの木に、青虫が何匹も“住みついた”。
葉っぱは見事に食べつくされ、木はあっという間に丸裸。
幼い私は毎日楽しみに、カラタチのそばに何時間も座りこんだ。
青虫はさなぎになり、美しい蝶になって去っていった。

青虫だけではない。何時間も眺めたのは、尺取虫の“歩行”。
“アリさんのコッツンコ”を見るのも好きだった。
父がそんな私につけたあだ名が「虫愛ずる姫君」。
そのころ読んだ“童話”に出てくる女の子だった。本の表紙の絵柄も覚えている。
博多人形のような日本画の風情で、扇を上に向けて広げている小さな可愛い少女。

扇の上には何匹かのムシが乗っている。
残念ながら、ネットでいくらこの昔の版を探しても、見つからなかったが。

昔の桜の樹には毛虫がたくさんいた。中学1年生の私は、
授業が退屈になると、窓際の席から外へ手を伸ばして、
桜の枝から手のひらに落ちてくる毛虫で遊んでいた。
小学校の帰りに道端や草むらに捨てられた子猫や子犬の声が聞こえると、
すぐさまスカートの中に何匹も包み込んで、家へ連れて帰った。
親には、自分で責任が負えないことをしたら、
結局その子たちがかわいそうなのだと教えられた。
野良犬や野良猫は、通り過ぎに目が合うとよく家まであとをついてきた。
家の前で、何回となく彼らに、「今は飼ってあげられない事情」を説明したものだ。
虫の研究に興味があったわけではなかったし、大人になるにつれ、
ムシクンたちとコンタクトしたい気持ちは残念ながらなくなったが、
動物好きは変わらなかった。

動物好きは変わらなかった。
「夢は?」と聞かれると、ライオンやトラの背中に乗って野原を駆け回ること、
なんて返事をしたこともよくある。
いったいどんな気持ちだったのか、
今振り返って思いを馳せると、ふと答えが見つかった。
考えると、いつも彼らに話しかけていたと思う。青虫とも尺取虫とも、
蝶々や家に飛び込んできた紅雀とも、いつもオハナシをしていた。
動物園に行ってもそれぞれの顔を見ながらオハナシ。
中国の四川にあるパンダ基地で、手でつかんだ竹をクチャクチャする、
生後3か月のパンダを膝に抱いた至福の15分間。
そうだ、私は虫や動物たちと「オハナシ」がしたかったのだ! 
家で飼った最後のワン君とは、本当にたくさんいろいろな話をした。
一人っ子だったせいもあるだろうか。
私のすべての悲しみや喜びを一番聴いてくれた分身だった。

ベルリンの下宿のおばさんからプレゼントされた一冊の本は、
私の生涯の愛読書となった。
コンラード・ローレンツ博士著の「ソロモンの指環」。魅せられた。憧れた。
もちろん私には夢のような話だが、
この本を通じて動物に対する自分の愛の形を改めて知った。
動物愛護に携わっていたベルリンの友人は、鳩公害のせいで、
毒殺や極端な排除方法がされないよう、
市議会に“ある政策”を提示して、正式に受け入れられた。
それは、「鳩用避妊ピル」の餌やり。きちんとした科学的統計の結果、
殺して数を少なくしていくより、繁殖しないようにするほうが、
ずっと数が減ることが分かったというのだ。
実のところ、私もずいぶん何回も鳩のピル餌やりや野良猫の保護に、
彼女と一緒にかかわったベルリンの日々だった。
クリスティアーネ、元気ですか? 今どうしていますか?

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