[車などのこと]

「鮫島さん、自動車の運転免許、持っているのですか?」とよく訊かれる。
そうそう、運転免許、確かに持っていた。そして「あの日のこと」を思い出した。
「あの日」とは、忘れもしない、生まれて初めて自動車教習所に行った時のこと。
もともと車の運転に才能はないと思っていたし、
日本にいたころは学校やレッスンでも忙しく、
教習所に行く時間がなかっが、留学したベルリンで友人に誘われた。

彼女が見つけてきた自動車学校は、大きな幹線道路脇だった。片側3車線の 通りを、
トラックなどが普通にバンバンと“飛ばして”いる。
そこでの第一日目。教官とともに乗ったのは通称「カブトムシ」と言われる、フォルクスヴァーゲンの車だった。
私は左側、教官が右側に座る。そして...。「はい、それでは出ましょう。」
出る?出るって、どこへ? 混乱とパニック! そう、ドイツの自動車教習所自体には≪練習場≫がなく、
まったくの初心者の 1時間目でも、実際の道路に出て行ってから始まる。
教官側の足元にもアクセルとブレーキが付いていて、“何か”の場合には、
事故にならないように踏んでくれることになっている形だ。まずは教官が「足」を動かして、私はハンドル操作のみ。
多くの車がびゅんびゅんと走っている道路に乗り出して、交通量の少ない横道に入り、
何回か左折の練習だけさせられた。それからもう自分でアクセルも踏む。
そして、オートマ ティックではないので、ギアの入れ方も教わる。
一日目の2時間が終わったら、体も頭もゴチゴチになっていた。
この忘れられない初日経験、そして実習の期間中には2枠の4時間分、
実際に 高速道路、いわゆるアウトバーンも自力で飛ばすのだ。
それも時速180kmに なるまで、教官は「もっとアクセル❕アクセル!」。
(そのころはドイツのアウト バーンは速度制限がなかった。)
郊外が多いので周りの景色はきれいだが、 そこでも、
ウィンカーを出してちゃんと「追い抜き」の実習をしなければなら ない。
パーキングの練習も実際の道路上や坂道で、様々な方向からトライする。

何十時間も必要とした講習の後、さて試験。筆記の方はあまりにも易しかった ので、毎回100点満点で、
担当教官はものすごく鼻高々だった。ただ「毎回」と書いたのにはわけがある。
ドイツではワンコースに3回まで試験を受けられるのだが、
実は3回とも、実技で落ちた!! 教官は「毎回」その度にがっくりしていた!
最終的に免許を授与してもらえたのは、何年か後、アウグスブルクに移ってから再トライしての2回目、
つまりは 5 回目である...。 車も持っていなかったし、持つつもりもなかったので、
その後実際に道路を走った経験は4,5回しかない。
友人の車を運転しながら、ミュンヘンの街中から環状線のアウトバーンに乗ったときには、
あまりの交通量にもたもたとして車線に入れず、
イライラした同乗者(元夫!)の、「目をつぶって アクセルを踏んで、
思い切って中に入っていけばいい」との皮肉の言葉を そのまま信じて飛び込み、彼を真っ青にさせ、
何台もの大型トラックに ブーブーやられた。というように、私の素直さと才能のなさが証明され、
それ以来、車の運転席には座ったことがない。でもドイツは、(今は知らないが)永久免許。
だから 私は無事故、無違反である。ただ日本に戻ってきた時、
国際免許に書き換えるのを忘れたので、今現在、私は運転免許は持っていない。という言い訳...。

自動車の代わりに、自転車にはよく乗った。ドイツやオーストリアでは、
街中に自転車道が整備されていて走りやすいし、
散歩代わりの楽しみに乗る人も多い。 何日かかけて自転車ツアーをする人たちもいる。
ドイツ語では「自転車乗り」(ラードラー)という名前の飲み物もある。だいたいが半リッターのジョッキに、
ビールとファンタが半々で注がれている。何十キロも走って汗をかいた「自転車乗り」たちは、それを飲み干して、
先へ進む。 最近日本で、さまざまな事故が起きるせいもあってか、
自転車用に新しいルールが決められたと聞いた。
日本では老若男女、自転車はあまりにも ポピュラーなので、
それほど考えたことがなかったが、ふとドイツでの道路を 思い出した。
自転車は、自転車専用道がないところでは、基本的に常に自動車と同じ 車道を走る。
それも、「道路規則」は車と同じ。つまり車線変更や、
右折左折の指示も きちんと出さなければならない。
どうやってかと言うと、ウィンカーの代わりにそれぞれ左右の手を出し、
後方からの車に自分の進行方向を指示して車線変更したり、
左折や右折をする。と言うことは、片手運転が 上手に、安全にできなければならない。
ヘルメットはもちろんのことだが、自転車に乗れるようになった小さい子供も、
この「車線変更方法」を、両親や大人と一緒に走りながら学んでいく。
だから、ただただメチャクチャに走る自転車はほとんど見られないし、
もし そのようなことがあったら、すぐに警察が来る(と思う)。
もちろん「酔っ払い運転」も取り締まられる。なのでラードラーを飲み干した
あとは、少し時間をかけて、ビール分のアルコールが体から抜けてから次に向かう。
聞くところによると、日本でも、自転車は「本来の法律上」は車と同じ扱いなのだそうだ。
ただそれほど厳しい目で見られてこなかったし、乗る人たちの意識には、
きちんとしたルールはあまり存在していない模様。
いわゆる 「ママチャリ」に乗る人なんかはどう考えているのだろう。
今増えている「ウーバー・イーツ」などの配達人も、“自由自在”に走り回って いて、
危険な事故に巻き込まれることもあるらしい。

アウトバーンで思い出した場面がある。ヴェネツィアでのコンサートの後、
なぜかは忘れたが、その夜にドイツの自宅に戻ることになった。
イタリアのヴェネツィアから南ドイツはバイエルンのアウグスブルクまでは、
ほとんどただ真っ直ぐ北へアウトバーンを走ればいい。四重唱を歌った仲間の車で夜11時ごろに出発。
それほど多くの交通量 ではない。周りは真っ暗である。時折、対向車や後方の車のライトが目に入る。
追い越し車線を悠然と飛ばすテノールの友人。
私は後ろの席で他の人と話したり笑ったりしながら、...とバックミラーに、
迫ってくるライトが見える。友人はかまわず飛ばして運転している。後ろの車も速度を落とす気配はまるでない。
だんだんちょっとドキドキしてきた。後ろの車はウィンカーを出している。
前に出たいようだ。(でも、いわゆる≪あおり運転≫という感じでは全くない。)
私にとっては雰囲気的にカーチェイスだが、
我々のドライバーは突然イタチのように横によけて、また戻った。
後ろの車は速度を落とさずそのまま走り去る。
同じようなことが2,3回起こり、今度は我々のドライバーが前に迫って行った。
精一杯コンサートを歌った後の出来事だが、もう疲れも何も感じない。体中が コチコチになり動悸がする。
我々のテノールドライバーは言った。「大丈夫、イタリア人たちは、こうやって普通に車線変更をするんだよ。
こうしないと流れの中で走れないんだ。
指示を出されたらきちんと速度を落として車線を譲るのは、ドイツに入ってから。」
神経にも体にも非常に悪い真夜中の帰宅ドライブであった。
もうドキドキするのにも疲れすぎてしまった私がなにをしたか。寝た!!

日本のダンスの先生から聞いたちょっと興味深い話をついでに。世界の社交ダンス競技会、イタリア人のペアは、
前述の車の運転と全く同じ ような踊り方をするそうだ!他の大勢のペアが一緒にフロアで踊っていても、
ものすごい勢いで進んできて、ぶつかりそうになるまでスピードを緩めない。
ギリギリでさっと体を交わして方向転換をする。ぶつかられそうになるのは怖いけれど、
その踊りのキレの良さは惚れ惚れものなんですって!