[私の周りの“外国人”]

1976年の夏、初めて日本を離れ、南ドイツのドイツ語学校で様々な国の 人たちと、4ケ月近く寮生活のような日々を送った。
時々カレーを作ってくれたインド人の女性教授。彼女が自分で料理をする のは、大切な客人を迎えるときだけ、と言った。
トルコ人の教授からは、トルコ語のあいさつの言葉を習って、試してみた。
アメリカ人のシングルマザーは、若いスイス人の男性に恋をして、年の差 に悩んでいた。
アメリカの一人の少女は、私を「先輩」と見込んで、なんと「恋愛・セックス 談義」をしたがった。
語学学校が終わると、戦争へ行くことになっていたイスラエルの男性。
なぜか私を自分の両親に会わせたがった、コロコロとした小柄のイタリア 人の博士もいた。
アルジェリア人の男の子は、私の同室の女子にいつもちょっかいを出して、 私は部屋から閉め出されることもあった。
彼らは、私にとっては初めてといっていい外国の友人。そして私たち自身は 皆、ドイツにおける外国人だった。
刺激的で楽しい、あまりにも知らないこと だらけの、新鮮な毎日だった。
人種問題? 言葉さえ知らなかったし感じなかった。町の端から端まで 歩いて30分という、
小さな小さな美しい田舎では、皆が親切でやさしかった。
勤め先の郵便局からこっそりと、そのころ大変だった日本への 電話をかけさせてくれたオジサンも忘れられない。

私は典型的な「アジア顔」だったのか、
ドイツでは、中国やベトナム、タイ、 フィリピンなどアジア各国の人たちから、いつも「同国人」と思われた。
でも残念ながら言葉は全く無理、「日本人」だとバラさざるを得なかった。
そのうちふと気がついたことには、多くの日本人は「日本人」と
思われなかったり扱われたりしないと、“侮辱されたように”不機嫌になったのだ。
言葉には出さなかったが、なぜだろうと思った。民族や人種への帰属意識 とは、個人個人本当に不思議なものだ。

モーツァルトのオペラ『魔笛』の中で、「彼はプリンス(王子)だ」「いや、彼は それ以上に一人の人間だ」というセリフがある。
これは、「人間というものの 尊厳を表す言葉」として、ドイツ語圏ではオペラ以外でもよく使われる言い方だ。

日本人とは、人種とは、本当に何なのだろう。
ベルリンの下宿のおばさんは、戦争中にドイツ領のポーランドから貨物列車 で逃げてきた、ユダヤ系のドイツ人だった。
私が長く住んだバイエルン州、 アウクスブルクでの親しい友人は、
ロシア系ユダヤ人のアメリカ人と、スェー デン系アメリカ人のご夫婦。
ロンドンに住むインドネシア人の友人のダンナ サマは、ギリシャ系ユダヤ人で、二人とも国籍は英国である。
私の元夫の 家族は、祖先がボヘミアから来た(多分)ユダヤ系のオーストリア人。
有名な王妃マリー・アントワネットは、オーストリア帝国のハプスブルク家 からフランスへお嫁に行かされた。
幼いころ、モーツァルトとも親交が あったそうだ。

留学していたベルリン芸術大学の同期の歌の学生は、
韓国人2名、ポルト ガル人1名、ドイツ人2名、アメリカ人2名に私だった。(1学年の声楽科に たった8名?と思うかもしれないが、
ドイツの音楽大学では、規模の大きい ほうでもこれくらいの人数である。そして授業料はタダ!) 南ドイツのウルム歌劇場の仲間も、
本当に国籍豊かだった。皆オーディション で入ってくるので、“人種に関係なく”公平に選ばれる。
私の相手役は、アメリカ人だったり、プエルトリコ人だったり、ハンガリー人 だったり...。でも観客はそんなことには頓着なく、
いい舞台を務めれば喜んで 受け入れてくれるし評価してくれる。
音楽家冥利だ。(ただドイツ語のセリフ などは、本当に大変、大変!) ドイツでとても愛されている、
「ヴィクトリアと軽騎兵」というオペレッタ (喜歌劇)の舞台稽古を見ていた時のこと。
多くの観客が口ずさむヒット ナンバーもたくさんある作品だ。
主人公のヒロイン、ヴィクトリアはドイツ生まれのユダヤ系アメリカ人が 歌っていた。
相手役の軽騎兵は、役の上ではハンガリー人だが、歌い手は 日本人のテノール。
そこでスイス人の女性が、「私のママは横浜生まれ、パパはパリ生まれなの」 という、
明らかに中国風味つけのナンバーを歌ったときは、さすがに私も、
配役と「人種」とストーリーがごっちゃになって頭が混乱したことを思い出す。
でもドイツの、だけではなく世界中のオペラハウスでは、まったく珍しくない 光景である。音楽に国境はない。

最後に、一つの「国際家族」を紹介します。
実は私の「ウィーンの家族」なのだが、今でも皆が仲良しで、私がウィーンへ
行くと、できるだけ日程を合わせて大勢で集まってくれる。 一度は(偶然も重なって)大家族パーティーとなった。
3人兄弟の長男は私の元夫。私、日本人と結婚していた。すぐ下の次男は ウィーンの女性と結婚して子供が二人。
長女がデンマーク人と結婚して、 その娘は巻き毛の金髪で澄んだ青い目、絵画で見る天使のような少女だ。
ここまではまぁ、わりとありきたり。 一番下の弟の奥さんはオランダ人。ここからちょっと“覚悟”してほしい。
子供は息子二人、一人は中国とタイの血を引く養子で、縁組後の国籍は オランダである。
その子の結婚相手が、オランダ国籍だがブラジル人の 女性で、その二人に息子が一人。
中国とタイとブラジルの血が混ざっている この男の子が、目を輝かせてトコトコ駆け寄ってくる姿は、
メチャクチャ 可愛い! 国籍はもちろんオランダだ。
そして、義弟の奥さんは4人姉妹だった。そのうち一人はエジプト人と 結婚し、2人息子がいる。
この「大パーティ」には、その息子たちの若い エジプトの友人も3人参加していたので、そのうち、いったい誰が誰で、
誰と話しているのかわからなくなってしまった...。
でもそんなことは誰も考えず、皆一緒にただただ楽しい時間を過ごした。
We are the world, we are the nations の言葉通り、
なぜ皆で 一緒に仲良くできないのだろう。
平和に暮らせないのだろう。